No.281

題名:不思議な時間と時間の不思議
報告者:ダレナン

 時間とは不思議である。こうして記述している間にも時間は経過している。もちろん、息をして生きている、そう思える時間も、時間の経過は留まることがない。
 縦、横、高は空間の領域を決め、それによって3次元が得られる。これに時間という1次元を加えることで、一般的には4次元となる。しかしながら、3次元の空間が持つ意味と、時間の4次元に相当する次元とは、異なる要素があるように感じられ、同じ次元として括ってもよいものなのか、この辺に理解の乖離が生じる。空間は現生の実在的な位置関係でありつつも、時間は過去と未来を繋ぐ、先の空間とは違った位置関係に存在するからである。空間を動かしているのが時間でもある。ただし、物理学的、あるいは、数学的には同じ概念(考え)で処理できるパラメータtとなる。少なくともミンコフスキー空間(No.270も参照)では、空間と時間を同列として扱える。
 こうして考えると、時間とは実に不思議な概念である。と同時に、時間自体のその存在に大いなる不思議さを感じる。時間と空間との関係に疑問を持ち、それを解決したのがアルバート・アインシュタイン博士であるが、アインシュタイン博士の相対性理論に基づく公式を理解したとしても、時間自体持つ不思議な次元には、不思議なままであり続ける。

時間とは何か?

これを実在として分かりやすく提示できる人は、いないであろう。宇宙の起源であるビックバンの前後の記録(理論)が、観測上の明確な現象として解明できない限りは、時間は実在として問うことが成し得ない。
 さらに、時間に対して生物学的に不思議に思うのは、

ある生物は、同時代に
重なり合いながら、
同じ時間を過ごしている。

ことである。例えば、明日に己の人生が終わるとする。終わる前までの時間の経過は、身近にいる人なりと共有しているはずである。そこで、終わってからの人生を考えると、そこに時間的な交わりはなくなる。すなわち、自己といえる歴史が終焉した時代に突入したと言え、ある時期に重なりがあったとしても、終焉はその重なりがなくなることを意味する。そこに重なるべき人の他の時間が存在しない。
 それでは、重なりがあった終焉した時間が取り戻せると言えば、戻すことはできない、戻すことができるのは、重なりのある終焉する前の、その人が残した何らかの痕跡だけである。

時間という記憶(記録)の中で、
その痕跡は
どのように存在しているのか?

 
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