No.223

題名:おもしろさの基準
報告者:ナンカイン

 人はそれぞれの人生があり、それぞれの人生経験がある。そのため、その人生における考えも、人それぞれである。よく言う十人十色は、その意味を端的に表している。同じように、笑いの壺も人それぞれであり、あるお笑い芸人をおもしろいと感じる人もいれば、その芸人のどこがおもしろいのかも分からない人もいるのも事実である。その根底には、おもしろさの基準が各人で異なる要素があることに他ならない。しかしながら、全く十人が十人とも笑いの壺が異なるのであれば、そこに笑いは成立しない。ある一定の割合でおもしろい、あるいは、おもしろいかもしれないと感じる壺があるために、その芸人はおもしろい、おもしろいであろう、おもしろいに違いない、という公式が成り立つ。
 このおもしろいと感じさせる割合には、一体どのような要素があるのか?
 これについて探ることは、実はとても重要である。なぜならば、社会を一変させるムーブメントには、このようにおもしろいと感じさせる要素が多々あり、その割合が高いからこそ、ムーブメントに伴う人の考えを変革させる力があるからでもある。先に、お笑い芸人を例として挙げたが、それ以外でも、例えば、Web上のコンテンツも、社会的にはお笑い芸人のもたらすムーブメントとそう大差はない。おもしろいコンテンツを提供できる人は、社会的にもムーブメントを起こしている。そこで、先の十人十色に基づき、人のサンプルを十人と規定して、このおもしろさについて考えてみたい。

この報告書は、おもしろいですか?    Yes or No

と、ここでいきなり質問してみる。たぶん(予想通り)大半の人がNoと言うであろう。すなわち、十人のうち、十人ともNoであれば、間違いなくおもしろくない。ただし、

最後まで読むと、おもしろいですよ。

と告げると、なるほどそうかも、と十人のうち一人は期待する可能性もある。すると、ここでおもしろさの割合が若干増加する。さらに、

この報告書、めちゃめちゃおもろいかもしれへん。

と告げると、あれ、おもろいかも、と十人のうち二人は思ってしまうことが期待できる。すると、おもしろさの割合もさらに増加するかもしれない。

これ書いた人、あほちゃうか?

と告げると、なぜかそのあほさ加減に、おもしろさにも親しみがわく。すると、最後まで読んだけんど、よう分からんかった、が、ためになったかもしれへん、と勘違いする人も多くなるかもしれない。人によっては、この報告書、しょーもな、と思えども、再度読み返してしまう。

 
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