題名:あっちの大陸、こっちの島
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.2109の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
小さな漁港の湾内には今しもそこから漕ぎ出そうと躍起になる小舟が見える。その小舟には”茂吉号”と書かれてあった。すなわち、筆者である私の船だった。その漁港の沖には、すこしばかり大きな島の入り江が見えていた。いや島というよりも、この漁港が島であって、あっちは大陸かもしれない。
そう思えた。なにわともあれ、行ったことないから分からない。行ってみないと分からない。いわば今は、隣の芝生がよく見えるという現象に陥っていた。
大きな大陸は、僕に向かってこっちにおいでと叫んでいた。
茂吉という名も影響していたのだろうか。
僕の父は文芸界でも少し名をはせた人物だった。そこで斎藤茂吉とも縁があった。斎藤茂吉と言えば、大正から昭和前期にかけて活躍したアララギの中心人物であり、歌人、随想家、精神科医だった人だ1)。僕の名はそこから来たということをふと母から聞いたことがある。それでも、僕のここ一連の文体の、はずしちゃうでー感は何だろうか。
僕はあまり父の血を受け継がなかったのかもしれない。それでも、茂吉は茂吉だ。
あっちの大陸を目指すべく僕が漕ぎ出した小舟は、トビウオにぶつかることで飛び級がヒラメいた(図)。そうだ私はあの時、「うおー」と叫んだはずだ。それが15の夜だった。
そして僕は高校でできる勉強はとっとと終了させ、中退し、高認でスタンフォード大学に17で入学した。
アメリカでの事業は失敗した。が、斎藤茂吉にも似て精神科医にはなることができた。
そんな時代もあった。そんな時代があった。
なんだか懐かしい。
あれっ、あなたは汐留茂吉であって、花見英明じゃないんじゃないの、ここのくだり…。
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1) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E8%8C%82%E5%90%89 (閲覧2021.8.24)
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