題名:ドイツ・de Sede社のアームチェア「DS-31」
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.2090の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
帰宅すると妻がソファーにやや寝転んだ状態でNetflixで韓国ドラマの「愛の不時着」を見ていた。黒糖かりんとうがスーパーになかったことを告げると、振り向いて「仕事あがるのはやかったわね。かりんとうなら別にいいわよ」ということで簡単に事は治まった。
早い話が、彼女は「愛の不時着」に夢中だったわけだ。
でも、どうしても家に戻ったり、過去を回想すると、意識的に私は私という所属の名称(一般にはないがこれを属称とす)ではなく僕という属称に戻る。今の妻がそこにいることや、あの当時にジェニファーがいたこともあろうが、職業柄で威厳的に魅せたい場合は”私”と属称したいが、一個人に帰着すると”僕”という属称となる。まっ、すなわち簡単に言えば、Audiに乗っている時は、私としての私の属称だが、国産のスライドドアのある車に乗ると、私は僕という属称的になる。それが社会的なステータスというものだろうか。
さっきのスーパーではAudiは無用だった。やはり買い物には国産のスライドドアのある車がベストだろうな…。買い物かごも楽々にのる。そういえば、アメリカ時代の僕はポンコツのシボレーカマロだったなぁ…。ジェニファーと知り合った頃、よくドライブしたもんだ…。
そこで、ここからは”僕”という属称で、皆々様に執筆をお送りしたいと思います。
僕は自分の部屋に戻り、そして再びpatient O.T.の論文を眺めた。そこにはpatient O.T.、田所治が妻によって症状を呈したことは一言も明記されていなかった。ということは、八度まもると田所治の共通点や一致点は部分的に消えてしまう。いや、待てよ。田所は妹に影響を受けたことが若干この部分に記載してある。そういえば、八度まもるには妹がいたのだろうか…。今度、詳しくカルテを見てみるか…。
1970年より続くクラシックコレクションであり、高い技術を持った職人による美しいハンドステッチを座、背、アームの淵に施されたドイツ・de Sede社のアームチェア「DS-31」1)に腰かけながら目を閉じ、瞼の奥で、僕はかつて講義で見た古いモノクロのフィルム映像を思い出していた。むろん論文に準じたpatient O.Tのものだった。そこで見た田所治の異様な光景が、目に、脳に、焼きついて離れない。
彼に会いたいがための今の僕の職業だ。
ただし、八度まもるにその田所治の症状が現れないとしたら、僕の精神科医としての感も鈍ったものだ。そういえば、そう。あの北医師に熱を上げていた看護師さんも少なくなかったな…、彼はイケメンだし僕は年食ったし…………………………、そしてそのまま僕はチェアの心地よさにほどされながら、寝てしまった。
久しぶりに当時の彼女からメールをもらったせいもあるのだろうか…。
夢の中で、ジェニファーが現れた。
1) https://www.idc-otsuka.jp/brand/desede (閲覧2021.8.12)