No.1868

題名:くっくどぅーどるどぅ
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1867の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 二人の間に一瞬の沈黙があった。にらみ合い、そして、自転車の彼はペダルに足をかけ、足早にその場を去ろうとしていた。僕にはその動きがとてつもないスローモーションに見えた。さっと、ペダルに足をかけ、彼の動きを邪魔した。そして問答無用でそのまま彼を蹴飛ばした。
 なぜにこうも僕は怒られなければならないのか。妻にも、そして自転車の彼にも。僕はなにも悪いことはしていない。奈落の井戸に意思が放り込まれているだけなんだ。もう世間と関わりたくないんだ。その井戸の、奈落の底で、僕はじっとしていたいだけなのに…。
 思いっきり蹴飛ばした。がちゃん、と大きな音がして自転車は倒れ、彼も飛ばされた。顔面から地面にたたき落された彼が、こちらをにらみつける。彼の口からは、鮮血が滴っていたのが見えた。そんなのはもうどうでもいい。彼が流血しようがそんなのはどうでもいい。
「きっさま、なにすんだよ」
 彼は握りこぶしを作り、僕にとっかかってきた。彼の動きは相変わらずスローモーションだった。だから僕は簡単にそれをよけきれると思っていた。でも、僕の動きは彼以上にスローモーションだった。加齢上にだ。おっさんと化した僕は、瞬く間に彼のこぶしが目の前に来たかと思うと、僕の意識はそのままブラックアウトした。ぼこっぼこっ。その時、本当に奈落の井戸の中に放り込まれたことに気づいた。

 目がうっすらと覚めると僕は病院にいた。何かしゃべろうとするも、口周りと口の中からじわーっと何かの液が滴っているようで、それに鼻と眉間にも痛みを感じた。体をよじると、腰回りにも痛みを感じた。とりあえず、こじ開けれるだけ開けた瞼の先には、妻の顔があった。彼女は、じっとこちらをのぞき込んでいた。その目はさっきの奈落の井戸の中を覗くようなそんな感じであった。
「大丈夫?」
「ぎょめん、ふぃらみすたべたの、ぼきゅななんだ。えーひれみょ…」
 どうもうまくしゃべれない。しゃべるたびに口の中がじくじくして、痛みが増してくる。
「いいのよ。そんなことは、また買えばいいだけじゃないの。それより、わたしの方こそごめんね」
 窓の外にはハトが飛んでいた。そのハトが窓のへりに直陸すると、くるっくるーと鳴いていた。くっくどぅーどるどぅ。ニワトリと随分と鳴き方が違っている。頭の中ではニワトリが泣いているのに、窓のへりではハトが鳴いている。そのハトは僕をじろりと見たかと思うと、糞をしてそこを飛び立った。窓にはハトの糞によって飛び散った糞の跡がくっついた。僕は運がついたのか、それともつきたのか。
 そのハトは、僕を一瞥したにも関わらず、何も教えてはくれなかった。
 くっくどぅーどるどぅ。
「一体、誰に殴られたの?」
 妻が聞いてきた。覚えていない。彼の顔も、彼の服も。そして彼の自転車の形も。どうやら彼からもらったパンチとともに、僕の頭はすっからかんになっていた。
 くっくどぅーどるどぅ。

 
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