No.1765

題名:今日も月の砂漠をラクダが悠々と歩いている。
報告者:ダレナン

 大局的な立場に立って、その内容が優れているかは別として、この世のコンテンツには2種類があると思うようになった。一つは、Createrのもの、もう一つはAnalyzerのもの。平易に言えば、生み出す人と、それに対して分析する人だ。前者は、もちろんその生み出し方によるが、上から下まで幅広い。上質なコンテンツをコンスタントに常に生み出す、生み出せる人もいれば、クソと呼ばれるコンテンツしか生み出せない人もいる。後者は、それに対して、あーだこーだと論じる人だ。

 さて、どちらがすごいのか。

 それについて、答えを問えば、Creater上 > Creater下 ∽ Analyzer上 > Analyzer 下となろうか。どうあがいても、Analyzerの地位は、Createrよりも劣ってしまう。すなわち、後世の残るのは、何かをCreateしたもののみの勝ち。そうなのか、そうでないのか。でも、結局は生み出せないのに、他人のものに対してあーだこーだ論じても、あなたはどうなの? 何か生み出せるの、生み出したの? と問われれば、ぐうの音も出ない。それがAnalyzerの立場だ。

 くそ、つまらん。
 なんでこんなこと記述してるんやろか。

 いくつかの自分なりの想像と創造(Createまでほど遠いので、想像と創造とした)を介して、面白いが、実は大変だということに気づいた。人のものに対して、ある人がCreateしたものに対して、あーだこーだ論じるのは意外と楽だ。それはひとこぶなり、ふたこぶなり、もはやラクダという乗り物がそこに用意されているからだ。だから、「このラクダ、結構揺れるでおい」、とその走行法に文句たれつつも、目的地から目的地まで歩いていただけるのは、ラクダ自身。自らではない。自らではない。

 はっきり言えば、自らではないのだ。

 そこには大きな隔たり、乗り越えられないハードルがあり、例えば、どんなにPianoが技巧派でも、作曲できなければ、後世に残るような曲が書けなければ、書けてなければ、結局は作曲家の価値で、勝ちだ。作曲家の勝ちのほうが、後世の価値に転じるのだ。

 月の砂漠は~砂~だらけ~。

 今日も月の砂漠をラクダが悠々と歩いている。

 今日も月の砂漠をラクダが悠々と歩いている。

 
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