No.1721

題名:こころのわーぷ
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1720の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 ボンボンさんじょーほーによれば、「真相が気になるが1時間も観たくないという人は1:05:00辺りから観ればだいたいの話はわかる」1)とある。すいみんれべる、5、というぼくちゃんにとって、かいてきしすうがまっことたかいこの「えんど・おぶ・おでっせい」に、ねおち、はあれど、きおく、はない。すなわち、よくおぼえてはいない。だからこそ、もういちどみなおしてみるか。ボンボンさんじょーほーをもとに。ということになる。
 1:05:00あたりからさいせいした。なるほど、このへんか…。と、かすかなきおく、をたどりつつ、やく5ふんぐらいしたあたりから、もうれつにねむけがおそった。そうして、10ふんぐらいでさいせいをちゅうだんし、ねた。さいせいをちゅうだん。だから、ねおちではなく、ねたのだ。ねたなのだ。
 ねたしこんで、なんとやら、そうして、すいみんかぷせるのなかで、ふとゆめをみた。「えんど・おぶ・おでっせい」よりもながーいゆめ。もしかして、しんそうしんりに、この「えんど・おぶ・おでっせい」がしみこんでおる。そうおもえた。つまりは、「えんど・おぶ・おでっせい」には、ちょうだいなゆめをみさせてください、それちょうだいな、てきな、なにかがしくまれていたのかもしれない。だてに、「えんど・おぶ・おでっせい」のえんどろーるがながいわけではない。じつは、こーみょーにしくまれた、えーが「オデッセイ」へのちょうせんじょう。そうだ、これは、いわゆるちょうせんじょうだ。
 それはでもあかされる。ねたがあかされるときだ。すくなくとも、「オデッセイ」のあとにみることがなかった、ちょうだいなゆめが、ちょうだいできたのだ。「エンド・オブ・オデッセイ」によって。
 それは、ジェシカなの? のんのん。じゃー、エミリア? のんのん。のんのんなの? それも、のんのん。あえていうなら、みす・ていく。いわば、みす・Tといえるそんざいなのかもしれない。みす・Sのように。そうして、「ながいぼうけんのおわり」は、げんだいの「こすもなうと」として、「あすとろなうと」ではなく、あえて、きゅうそれんの、きゅうでも、げんだいの、として「こすもなうと」する。それがうちゅうひこうし2)。ただよう、みす・Sのほしのうみで、ただようふねは、「こすもなうと」であるぼくちゃんのしんそうしんりにおいて、みす・Tへとつながった。いわばこころのわーぷ。これも、「エンド・オブ・オデッセイ」のおかげかもしれない。「エンド・オブ・オデッセイ」は、きっと、なんとかの、いしきたかいけい、なのだ。なんども、なんども、ねおちをあえてさそうことで、きっと、べつじげんにつれてってくれる、そんなえーがなのだ。
 みす・T。おもいだしたよ。あのまっくらなよぞらのなかでただよっていた、まっくろなうみのなみまを(ず)。

ず まっくろなうみのなみま3)

1) https://www.amazon.co.jp/エンド・オブ・オデッセイ-DVD-レオン・オッケンデン/dp/B0166MYZQ0 (閲覧2020.6.8)
2) https://whitebear0930.net/archives/12807 (閲覧2020.6.8)
3) https://www.pinterest.jp/pin/622481979735025704/ (閲覧2020.6.8)

 
pdfをダウンロードする


地底たる謎の研究室のサイトでも、テキスト版をご確認いただけます。ここをクリックすると記事の題名でサイト内を容易に検索できます。



...その他の研究報告書もどうぞ