題名:ハトの「ちょーだい攻撃」から考える、ヒトの欲望性への言及:そのⅢ
報告者:エゲンスキー
本報告書は、基本的にNo.1101の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
ここで、ハトに生まれ変わってみたい。ぽろっぽーと鳴きつつ、首を前後に振って、公園をあるいていると、向こうから来た人が食パンを食べていたのを発見した。よく目を凝らすと、その人は食パンの一部を落とした。「チャンス」。そこで、羽を伸ばし、羽ばたき、その落とした食パンめがけて一目散に飛び立った。同じくして、仲間もそれに気づいた。その仲間は羽ばたくのが得意である。そうして、その仲間に、残念なことに、筆者(ハト)の食パンを盗られた。しかしながら、その人はやさしい人なのであろう。食パンを落とさずに、ちぎって放り投げてくれた。そして、筆者(ハト)も食べることができた。ただし、ハトの世界は熾烈である。報告書のNo.1100でも示したように、世界中の都市にいるハト4億羽のうち、毎年35%ものハトは亡くなるのだ。もっと、エサをくれないと、筆者(ハト)も死んでしまう。「エサくれー」とばかりに、その人に飛び掛かる。「ちょーだい攻撃」の始まりだ。仲間もその様子に気づき、一斉に「ちょーだい攻撃」が始まった。と、ここまで想像しながら、ワープロを駆使して文面化するハトはまずいないであろう。
先の報告書のNo.1101でも提示したジャック・ラカン博士の「ボロメオの結び目」において、想像界は先の記述からハトとしては否定できようか。ワープロは使えたとしても、ハトによるノーベル文学賞は永遠に存在しえないであろう。しかしながら、現実界は「ちょーだい攻撃」があることから、間違いなく存在する。そして、象徴界はどうであろうか。文献1)によると、ハトはプラス記号やサークル記号について認識する能力がすでにある。さらに、色付き、形付き、およびサイズ付きの記号を用いたテストでも、それらを判断する能力を有していることが知られている2)。一方で、仲間うちでもその記号をコミュニケーションとしても用いることができる。すなわち、象徴界も理解できる。このことから、ラカン派のハトは、少なくとも、「ボロメオの結び目」において、現実界と象徴界は行き来できる。創造できないのは、想像界である。すなわち、報告書のNo.28でも示されたように、ヒトの想像が、すべての人の創造につながる。すると、筆者(ハト)がヒトへとなりすまし、ハトの〈欲望〉でもって、ヒトの欲望性を創造すると、どうなるのであろうか。
実は、文献4)に人の「ちょーだい攻撃」に関する面白い考察がある。FaceBookなどの広がりによる絡みが増えるにつれ、あるいは、それなどの相互やり取りにおいて、人に聞く前に、ネットで調べるなり、トラベルガイドを読むなりしない「ちょーだい攻撃」の人が、コメントなどを介して増えるという事例である4)。それによって、「私がパン屋さんだったらパンちょうだい、って言うのかな?」、「私が靴屋さんだったら靴ちょうだい、って言うのかな?」、「私が銀行員だったらお金ちょうだい、って言うのかな?」という疑問をその方は呈している4)。その方曰く、何かを求める際の対価を考えることなしに、何らかの共通項ができてちょうどよかったわね、という一方的な形式のもとでの「ちょーだい攻撃」、である。人の〈欲望〉、あるいは、その性質は、きっと、ここから始まっている。
1) Edwards, CA., et al.: “Same/different” symbol use by pigeons. Animal Learning & Behavior 11: 349-355, 1983.
2) Aaron P., Blaisdell, AP., Cook, RG.: Two-itemsame-different concept learning in pigeons. Animal Learning & Behavior 33: 67–77, 2005.
3) Lubinski, D., MacCorquodale, K.: “Symbolic communication” between two pigeons (Columba livia) without unconditioned reinforcement. Journal of Comparative Psychology 98: 372-380, 1984.
4) https://ricorice.exblog.jp/24170817/ (閲覧2019.3.2)