No.1184

題名:タバタ・レンサク著「そなたは、焼肉と同じ理論で、美味しい」について
報告者:ダレナン

 本報告書は、基本的にNo.1183の続きであることを、ここで前もってことわりたい。

 No.1183の続きであるとしながらも、No.1182の続きであるともしたい、そういう雰囲気で始まった本報告書は、タバタ・レンサク氏による著書「そなたは、焼肉と同じ理論で、美味しい」について、述べるものである。そのタバタ・レンサク氏は、漢字で書くと、タバタ・恋作となるかもしれない実在の人物かもしれないところの、筆者の替え玉でもある。
 替え玉という方法は、長浜のラーメン店から始まったとされ、出し方はお店によって異なる1)。二杯目以降は、スープが薄くなる場合があるも、置いてあるタレで味を調節し、一杯目と二杯目、三杯目を違った味付けやトッピングで楽しめる1)。しかしながら、タバタ・レンサク氏曰く、「そなた(恋作)は、焼肉と同じ理論で、美味しい」として述べ(No.1182)、それは明らかにラーメンではなく、焼肉としての意味合いがある。そのことから、替え玉は、実は、焼肉なのかという類推も成り立つ。ここでは、焼肉の替え玉として捉えると、一に牛肉、二に豚肉、三、四がなくて、五に鶏肉となる。野菜も食べなさい、と伝えられるも、焼肉としての名称である以上、どうしてもお肉がメインとなる。さらに、そのお肉に関して、大阪・北堀江の焼肉No.1でのサイトのトップには、「黒毛和牛をはじめとして」、と明記されていることからも、牛肉のトップが納得できようか2)。すなわち、お店の称号のNo.1は、ナンバーワンと呼ぶのではなく、いちばんと並列して記載されていることから、イチバンのお肉は、黒毛和牛となる2)。
 さて、その黒毛和牛からはじまったイチバンであるが、人の普遍的な要素としてのイチバンは、愛・恋になる。その概念は、全世界で共通であり、文化的には若干の異なりはあるも、なぜか理解できるイチバンである。その一方で、黒毛和牛は、インドでは食べることができない。そのインドは、ヒンドゥ教徒が多数占めるが、そのヒンドゥ教徒は、牛肉は食べないからである3)。また、一方で、イスラム教徒は不浄であるという理由から、豚肉を食べない3)。この結果からすると、タバタ・レンサク氏の述べた「恋作は、焼肉と同じ理論で、美味しい」は誤っている可能性もある。ただし、上質なお肉は、愛・恋すべき対象として、焼かねばなるまい。宗教上の違いはあれども、お肉はたんぱく質をとるための人類にとって必要不可欠な栄養素であることは異論がないであろう。そこに魅力がある。
 ただし、替え玉であったタバタ・レンサク氏は、ピエロ的な要素を吹かしても、そこに微笑みが見出される(図)。その微笑みは、焼肉におけるスパイスにも似て、魅力的で刺激的なのだ。

図 ピエロ的4)

1) http://www.apamanshop.com/info/column/20150622_024.html (閲覧2019.5.5)
2) http://www.yakiniku-no1.com/ (閲覧2019.5.5)
3) http://raani.org/faq/life.htm (閲覧2019.5.5)
4) https://bruwho.tumblr.com/post/144878846009/bw (閲覧2019.5.5)

 
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