題名:不倫は文化なのか -その人類学的な起源を探る-
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.836の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
通常、ヒト(ホモ・サピエンス)とされる人類は、多くは一夫一妻、場合によっては一夫多妻が家族という形態となる。その一夫一婦制、あるいは、別の見方で性役割分業に関しては、他の大型類人猿にはないヒト特有のものであることから、人類学での研究対象として以前から注目されている1)。
奈良大学の尾上正人博士1)によれば、一夫一婦制や性役割分業に関して様々な人類学者からの意見がある。例えば、ジャレド・ダイヤモンド博士によって核家族の生成論理が展開され、狩猟採集時代における性愛の相手を見つけることよりも、食料調達と分配(による生存)が家族にとって喫緊の課題だったのではないかと推測されている。また、オーウェン・ラヴジョイ博士によって、二足歩行化と脳の肥大化・消化器官の縮小等による難産化・育児期間の延長が、ヒトの男をして狩りの獲物(肉)をホームベースで待つ女と子どもに分け与えるという性役割分業を生じさせ、発情期の消滅によって男を疑心暗鬼にさせるとともに、女を恒常的に監視するシステムとして一夫一婦制を招来したことを説いている。さらに、山極寿一博士は、一夫一婦制を敷いて類人猿に見られるようなオス間の性淘汰競争を抑制して男たちの政治的同盟を作れたことが、更新世の厳しい食料事情・気候変動や部族間戦争を我々の祖先が生き延びることができた主因だったと説明している。このようにして、一夫一婦制や性役割分業の秘密を解き明かすこと自体、人類の集団、家族、それに社会性を解き明かす近道にもなる。
一方、人間的シンビオス(共生)の欲望は、先の報告書のNo.836によれば、人間、集団、そして家族、それらを包括する社会の根底をなし、それらは愛憎という感情によって縛れていることを提示した。このことから、これらを脅かすような事象は、充足している際の愛と反充足している憎との表裏一体にあり、一度結んだ愛の関係が崩れる、あるいは、崩す、崩れるようなことに至れば、憎へと転化しやすい。その愛から憎、あるいは、場合によっては憎からの愛への転化は、その当事者における間柄と、集団への帰属性、さらに、家族への奉仕によって決定される。そこで、報告書のNo.836の図を愛憎という矢印でもって整理しなおすと、図のようになるのかもしれない。矢印の色は人類的な安定-危険性を示している。このことから、矢印
図 人間的シンビオスと愛憎での縛り
が下側に位置すれば危険的な赤い”憎”への外方となり、上側に位置すれば安定的な青い”愛”への内方となる。かつて、”不倫は文化である”と提言した芸能界の方がいるが、それは仮に文化としても、赤い”憎”への外方への道を示す、人類学的には破滅(愛憎の縛りがもつれる)への文化に至る道を案内していたのかもしれない。
1) 尾上正人: 近代核家族はどこまで「近代的」か? -一夫一婦制・性役割分業をめぐる進化論争からの示唆-. 第 87 回日本社会学会大会 研究報告・要旨. (http://www.gakkai.ne.jp/jss/research/87/42.pdf (閲覧2018.6.24)