題名:北山文化と東山文化の比較
報告者:エゲンスキー
室町時代に代表される文化様式として、北山文化と東山文化がある。北山文化は室町時代初期の文化であり、一方、東山文化は室町時代中期以降の文化となる1), 2)。同じ室町時代の文化であるが、その趣は大きく異なり、それを表すが如く、両文化に代表される建物に、金閣寺(北山文化)、銀閣寺(東山文化)がある。金閣寺は豪華で華やかさを基調とするも、銀閣寺はそれに比べて枯れた感じを基調とする。現在ではこれらをまとめて室町文化と呼ぶこともあるが2)、同じ時代にも関わらず先の建物を含めてがらっと変わるその趣は、時代の変換をも示している。そこで、ここでは、北山文化と東山文化の背景を探りたい。
両文化の詳細な内容について文献3)に詳しくあるが、そこに示してある分かりやすい内容をまとめると表のようになる。また、その他の絵画や文芸についての比較表も
表 北山文化と東山文化3)を元に筆者が表にした
文献4)にもあるので興味のある方はそちらも参照していただきたい。表から建物や時代、様式については先に示した通りであるが、注目すべき事柄はやはり将軍や内容・様式の違いにある。
足利義満は1368年~1394年にかけて活躍した武士であり、室町幕府第三代将軍となる5)。一方、足利義正は1449年~1473年にかけて活躍した武士で、室町幕府第八代将軍となる6)。1473~1368を引くと、105年となり、おおよそ100年で時代の趣が大きく変化したことが分かる。
足利義満時代は、文化様式も公家中心であった。それが足利義満によって武士に利益がもたらされるようになり、世の中の仕組みが変えられることとなった7)。さらに、足利義満は南北朝合一を実現して朝廷との争いを終結に導き、守護大名を抑えて幕府の権力を世に示すとともに、名実ともに公武両勢力の頂点に上り詰めた5), 7)。それらの影響が、武士的な威力として北山文化を繁栄させたのは間違いない。ゆえに、華やか武士バブリーな時代でもある。これが、足利義政時代になると、武家中心の文化へ変貌と遂げ、武家独自の文化も生まれ、それは庶民にまで広く受け入れられるようになった7)。茶道、絵画、日本庭園など現在の日本文化のベースともなる文化様式の多くがこの時代に生まれた7)。仏教、特に禅宗に基づく日本的な解釈もこの時代に起こる。それは、日本史上にとっても貴重な時期でもあるといえよう7)。ゆえに、世界で代表されるような日本的なシブい文化の象徴は、すべてこの時代に結び付く。千利休の祖ともなる村田珠光や日本風の水墨画を大成者である雪舟、日本絵画史上最大の画派である狩野派の祖、狩野正信もこの時代から活躍した人物である2)。
1) https://ja.wikipedia.org/wiki/北山文化 (閲覧2018.4.5)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/東山文化 (閲覧2018.4.5)
3) http://sengoku-history.com/2018/01/20/muromatibunka/ (閲覧2018.4.5)
4) http://manapedia.jp/text/1552 (閲覧2018.4.5)
5) https://ja.wikipedia.org/wiki/足利義満 (閲覧2018.4.5)
6) https://ja.wikipedia.org/wiki/足利義政 (閲覧2018.4.5)
7) https://xn—-kx8a55x5zdu8lso8dvuf.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/category/京都・金閣寺の境内の「観光・見所(見どころ)/京都・金閣寺(鹿苑寺)と「北山文化と東山文化 (閲覧2018.4.5)
8) https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4402 (閲覧2018.4.5)