No.686

題名:芸術とエロスの接点について
報告者:アダム&ナッシュ

 人間の所業はあらゆる精神活動に結び付いている。その中でも、最たるものは生か死かである。悠久の人類の歴史から鑑みると、一人の人間の人生は長くても100年ちょいであり、この先にどのような科学が発達しようとも、ヒトの生物としての死は免れない。ゆえに、ヒトは、どのような立派な人間であっても、100%の確率で死に至る。一個人の細胞の残存や、あるいは、SFのようにコールドスリープが可能となったとしても、それを維持する機能(機器)が働かなければ、やはり死に至る。そのため、生きている人生において、いかに自らの精神を後世に残すことが出来るかが、常に問題視される。しかしながら、人生の時間はどのような人間であれ、それは限られている。
 自らの精神を残すには、様々な手段があるが、本能的に根差す手段は、子孫の繁栄となる。いわば、そこに生殖活動が存在する。その基底として、ヒトの遺伝子にはトロッコに乗るが如く、次の世代に受け継ぐというメビウスの輪が仕込まれている(No.428も参照)。そのメビウスの輪には、ヒトの生殖活動を斡旋すべく、必ず一つの象形文字が刻まれている。

ヒトの裸は、芸術か、はたまた、エロスか?
である。ヒトの裸を見て、恥ずかしがるのは、他の動物にはない、ヒトの特徴でもある(No.261も参照)。その他、身体活動の芸術の最たるものに、バレエがあるが(No.670も参照)、そのバレエにおいて芸術とエロスの違いを見ると、文献1)にもあるように、「バレエでの表現って、こういう表現の仕方ってなんだと思うけど、すごくエロい。個人的に、この「エロさ」って、芸術表現ですごい大切、というか必要不可欠だと思う。」とあり、そこに両者の接点が垣間見られる。
 エロスの言葉の原点は、ギリシア神話に登場するエロース(Ἔρως)である。そのエロースは、恋心と性愛を司る神であり、美の女神アフロディーテの息子である2)。その神の子であるエロースと、ある国の王さまと王妃さまの人間の子である末娘のプシュケーとの逸話3)がエロスの根底にあり、そこでは、性と心と愛が、分かち合うものではないことが示される。すなわち、

ヒトの裸は、芸術である。
同時に、エロスであり、心であり、愛でもある。
といえよう。それは人間の生の根源でもある。そこで最後に美しいモデルの一人であるAnna Ioannovaさんを図に示す。これを見て感嘆するのは、他の動物ではなく、ヒトが(を)創りし神か、ヒトだけに違いない。図を見るといささか恥ずかしさを感じる。が、同時にとても美しさも感じる。

図 Anna Ioannovaさん4)

1) http://cologne.seesaa.net/article/43160563.html (閲覧2017.12.21)
2) https://ja.wikipedia.org/wiki/エロース (閲覧2017.12.21)
3) http://greek-myth.info/Aphrodite/ErosPsyche1.html (閲覧2017.12.21)
4) http://www.listal.com/viewimage/15130478 (閲覧2017.12.21)

 
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