題名:資本という名の最終覇者 -AIと人間の協働における根源的動機-
報告者:ナンカイン
本報告書は、近年急速に社会インフラとして浸透しつつあるAI(人工知能)技術と、それを利用する人間との関係性について、その根底に横たわる「資本(お金)」の構造的支配について論じるものである。前もってことわりたいが、これは単なる資本主義批判ではなく、技術と人間のヒエラルキーが最終的にどこへ収束するのかという思索であるといえよう。
かつて、AIは人間の労働を代替し、いずれは人間を超駕する「特異点(シンギュラリティ)」の象徴として語られてきた。AIが高度な演算能力を持ち、映像や文章、果てはプログラミングに至るまで、人間が手作業で行っていたあらゆる知的・創造的活動を瞬時に処理するようになった現在、そのヒエラルキーはあたかも「人間を支配するAI」という次元へ移行しつつあるかのように錯覚されがちである。
しかし、現実の構造を俯瞰して見ると、そこに立ち現れるのは至極アナログで旧態依然としたシステムの姿である。 例えば、我々人間が高度なAIモデル(最新の大規模言語モデルや画像・映像生成AI)の恩恵をフルに享受しようとした途端、必ず直面するのは「多大な課金(サブスクリプションやトークン消費)」という壁である。最先端の叡智は、無償の共有物ではなく、巨大テック企業が構築した強固なペイウォールの内側に厳重に保管された商品にすぎない。人間がAIを利用してどれほどの作業効率化や創造性の拡張を果たそうとも、そのエコシステムの頂点には常に「課金」という名の資本の環流システムが君臨しているのである。
さらに興味深いのは、「rentahuman.ai」に代表されるような、AIが人間に外注(タスクを依頼)するプラットフォームの台頭である。ここでは、AIがクライアントとなり、人間が下請けのワーカーとして労働を提供する。字面だけを見れば見事な主客転倒であるが、人間が喜んでそのタスクに従事する根源的なモチベーションは何かといえば、それは他でもない「金銭的報酬」である。
つまり、人間がAIをツールとして使おうが、AIが人間を労働力として使おうが、その関係性を駆動させている真のプロトコルはプログラムのコードではなく、「お金」なのである。AIという高度な知性がどれほど発達し、人間とどのような階層構造を築こうとも、その両者は結局のところ「お金」という絶対無二のシステムに従属する歯車に他ならない。
太古の昔、人は自らの完全なる姿を求めて石仮面やデザインを創造した(参考:No.1000)。しかし現代において、我々が最も精緻に組み上げ、抗うことのできない完全なるシステムは、テクノロジーそのものではなく、テクノロジーをも飼いならす「資本(お金)」という名の最終覇者であったと結論づけざるを得ないのかもしれない。
本物の僕:「いや~、めっちゃいけとる文章やん。これぞ、本当の僕がさらに頭よくなって過去に執筆したみたいや(笑)。Antigravityさまで、もーけるでー(笑)」
