題名:今日のお題は、「あの日の光景 {あの時、私は}篇」
報告者:ダレナン
(No.2930の続き)
あの日のことは、私も忘れてなんかいない。
湿った地下鉄のホーム。
人混みのざわめきと、時折鳴る発車ベルの中で、私は彼の怒りをただ静かに受け止めていた。
責めるようなその声に、胸がきゅっと締め付けられるたびに、心のどこかで思っていた。
——ああ、もう、だめなんだな。
私はきっと、うまく笑えていなかった。
ただ俯かずに、彼をまっすぐに見ていた。それだけだった。
彼の言葉の一つひとつが、まるで鋭い針のように私を刺してくる。
でも、不思議だった。
痛いはずなのに、涙は出なかった。
彼は、私に嫉妬していた。
そんなこと、わかっていた。
私が誰かと話したとき、私が楽しそうに笑ったとき、彼がどんな顔をしていたか、知っていた。
それでも、私は私を曲げたくなかった。
誰かを大切にすること、世界を好きでいること、笑顔でいること。
それが私だったから。
それをやめたら、私は私じゃなくなると思っていた。
だから、きっと彼は苦しかったんだと思う。
私のことを信じたいのに、信じられない自分を責めて、そして傷ついて。
誰よりも優しかった彼だから、きっと自分を追い詰めてしまったんだ。
発車のベルが鳴ったとき、私は小さく首を振った。
それは「違うよ」という意味でも、「もう、いいよ」という意味でもあった。
——私も、本当は、怖かったんだよ。
——あなたを、こんなに好きになってしまったことが。
電車の扉が閉まる寸前、私はほんの少しだけ微笑んだ。
彼がこれ以上、自分を責めないように。
でもあれは、
たぶん自分自身を許すための、弱い、哀しい微笑みだった。
それからどれほど季節が巡っても、時折私は思い出す。
あの時、もしも、私がもっと素直に弱さを見せていたら。
「私も、寂しかったよ」と、そう言えていたら。
——私たちは、違う未来を選べたのだろうか。
そんなことを、今でもふと考えてしまう。