題名:今日のお題は、「映画「ブルーベルベット」の冒頭の耳が暗示するもの2」
報告者:ダレナン
(No.2572の続き)
聴覚と視覚の対比
映画全体を通して、聴覚は重要なモチーフとして強調されている。切断された耳が象徴する「聞くこと」の喪失は、リンチが繰り返し描く「見える世界と見えない世界」の二重性に対応する。ブルーベルベットの物語では、見た目に整った郊外の町の裏側で、ドラッグ、暴力、そして性的な支配といった暗黒の現実が蠢いている。この切断された耳は、外見的な現実とその裏にある隠された真実の間にある溝を象徴しており、視覚的に美しいが本質的には歪んだ世界の二重性を表現している。
ジェフリーの旅と耳の役割
ジェフリーが耳を発見し、その謎を解明しようとする過程は、彼自身の内部に潜む探求心や危険への欲望を反映している。耳の存在は、ジェフリーが単に目に見えるものだけでなく、聞こえるものや感じ取るべきものにまで目を向けることを促すものであり、彼の心理的な成長や堕落のプロセスを象徴している。ジェフリーが物語の中で経験する様々な出来事は、この耳が暗示する「未知の領域」への彼の関与を深め、最終的には彼の無垢さの喪失を引き起こす。
結論
デヴィッド・リンチの映画『ブルーベルベット』における切断された耳は、単なる物理的な存在以上のものを象徴している。それは、現実世界の下に潜む隠れた腐敗と暴力の象徴であり、ジェフリーをその不気味で不穏な世界に引き込む出発点として機能している。耳というモチーフを通じて、リンチは観客に、見える世界の裏に潜む真実や危険を感じ取る力を求めている。耳の暗示するものは、表面の美しさの背後に隠された深い闇と人間の欲望に対する警告であり、映画全体のテーマを象徴的に具現化するものなのである。
今回の論考は意外とアッサリしています。それは中国産か熊本産かの違いのようです。でも、やっぱりアサリは熊本産を選んじゃいます。価格が高くても。最近はシジミを選びますが。こちらならスーパーに売られているもんはオール宍道湖産ですね(だから、安心なの)。で、まぁ、貝類はなにかが濃縮される。そんなことを学んだような気がします。だから身体にわるいものが濃縮されているかと思うと、どうしても国産を優遇しちゃうわけです。でも、お買い物ジョーズなみなみなさまなら分かっているはずです。本流があるから亜流が生きると。そう、映画「ジョーズ」はスティーヴン・スピルバーグ監督の出世作のひとつでもあります。ジョン・ウィリアムズのテーマ曲とともに永遠に語り継がれるサメの映画です。
先日にシン・サメ映画「セーヌ川の水面の下に」のことをここでみなみなさまにご披露したわけですが、たった4日間ほどでもはやそれは心に残っていない(正確には脳の海馬だと思いますが)作品になりつつあります。閲覧したみなみなさまはいかがでしょうか?
方や、スピルバーグ監督の映画「ジョーズ」はテーマ曲とともに今でも残っているわけでして、むかしの作品だからというよりもやっぱ作品そのものがとてもシンプルなわけです。