題名:イソベ家について
報告者:ダレナン
本報告書は、基本的にNo.1579の続きであることを、ここで前もってことわりたい。
病院での診察を終え、コンブチャンを家につれて帰った(No.1579)。ただし、コンブチャンは身元が不明。そのため、記憶が元に戻るまで一旦、イソベ家で引き取ることにした。
イソベ家は、僕、妹、それに母の三人暮らしだった。父は、母が妹を産んだすぐ後、漁に出掛けた際にシケにあい、船が転覆し、それ以来行方不明となった。地元の漁師たちの懸命の捜索にも関わらず、全く手掛かりがなく、その後に船の沈没は確認できた。漁業組合長の伯父によれば、もはや仏さん(父)は海流に流されたんじゃなかろうか、とのことであった。ただ、不思議なのは、漁に対して慎重だった父が、その日に限って荒れた天気にも関わらず、母が懸命に止めたにも関わらず、父は何かにとりつかれたように漁に出たことは何となく覚えている。僕が10歳のころだろうか。その前日、母と大喧嘩していることも覚えている。
当時、母は街一番の美人で有名であった。お世辞抜きで、当時の母の写真(図)を見ても、それはよく理解できた。なんでも、母方の遠縁には外国の人の血が流れているとのことで、見た目は完全によその国の人に近かった。ただ、僕は、父の遺伝の影響が強かったようで、見た目は父に似た東洋人的な様相となった。それでも、美人の母は、小さいころからの自慢で、よく小学校での授業参観などで、
「おい、おい、あの美人。誰のかぁちゃんだっぺ」
「あっ、あれね。イソベカツオのかーちゃんだや」
「すっげー、美人やな…」
と耳にしてうれしかったのを覚えている。そんな母だったが、家に連れてきた外国人らしきコンブチャンには、妙に親近感がわいたようだった。おまけにコンブチャンは磯の香りがする。元々漁師を生業としていたイソベ家にはうってつけだった。
図 若いころの母1)
「あらっ、外国の方? カツオもやるじゃない。とっても素敵な彼女ね」
「いや、いや、かあさん。実はコンブチャンは…」
「へー、そうなの。じゃぁ、わたくしもコンブチャンと呼べばいいかしら。コンブチャンね、今日から遠慮せずにイソベ家で療養してね。よろしくね」
「はい、よろしくおねがいします」
1) https://www.pinterest.jp/pin/780178335427626851/ (閲覧2020.1.17)