No.349

題名:結局、最後は、神頼み、かもしれない。
報告者:ダレナン

 この季節になると慌ただしくなる。人生を決める一大イベントである受験が控えているからである。特に、大学受験の一環であるセンター試験は、例年1月13日以降の最初の土曜日・日曜日の2日間にわたって行われる1)。この他にも、高等学校の試験や、各種の資格試験もこのあたりに多い。それは、日本の各種学校の入学が4月からというならわしにもあるのであろう。一方で、大学受験の一環であるそのセンター試験は、それ一回のみで、その本人の実力、あるいは、運命が決まってしまうなどの否定的な意見もあってか、2013年10月21日に教育再生実行会議に基づき、大学入試センター試験を廃止し、新たに達成度試験の創設が提言された1)。これは、すなわち、数回に分けて、本人の実力を測るという試験の仕組みである。しかしながら、いずれにせよ、試験といった学力、あるいは、能力を測る仕組み自体は、この先、何十年、何百年と経ても、なくなることは決してないであろう。この地球上に、人類がいる限りである。同じように、この地球上に人類がいる限りなくならないのは、神頼みである。先の試験などでも、それによって明確に学力や能力が上がる根拠がないにも関わらず、人は神頼みをせずにはいられない。
 ここで、神とはいったいなんであろうかと、改めて議論したい。一般的な事典に基づけば、神とは、「人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるもの」2)とされている。現在、技術革新が著しく、やがてTechnological Singurality(技術的特異点、No.41も参照)を迎える人工知能に対しても、同じように「神とは何か」と問えば、「ニンゲンを超えた存在で、ニンゲンに対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるモノ」2)を改変と答えるであろう。しかしながら、人間が感じる神と、人工知能が感じる神とには、どのような違いがあるのかと言えば、明らかに、「宗教的な感覚」のそれに違いない。トルコの最古の寺院であると考えられている“Göbekli Tepe”は、人の「宗教的な概念」の始まりであり(No.102も参照)、ここでいう「宗教的な感覚」を産み出した象徴と推測されるが、この感覚はTechnological Singuralityを越えた人工知能にも目覚めるものなのか、どうなのかは、今は分からない。この感覚の目覚めのきっかけが、ヒトが他の動物と異なる道を歩んだ意味が含まれているように思える。ゆえに、人は何時の時代でも、科学が発達した現在でも、神頼みをする。その対象は、ヤハウェであったり、アッラーフであったり、イエス・キリストであったり、ガネーシャ(No.347も参照)であったり、ブッダであったり、あるいは、イザナギとイザナミであったりするが、いずれの神様であっても、人は神頼みをしたい、せずにはいられない。
 本当の神様とは、どんなお姿なのであろうか。図のようなお姿なのであろうか。人工知能は、どのようにこのお姿を認識するのであろうか。ただのパターン認識で終わるのか、そうではない進化を迎えるのかは、未来の人類にしか結局は見ることができない。

p348

図 神様の一例3)

1) https://ja.wikipedia.org/wiki/大学入試センター試験 (閲覧2016.11.17)
2) http://www.weblio.jp/content/神 (閲覧2016.11.17)
3) http://ha-chi.biz/big.php?no=348 (閲覧2016.11.17)

 
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