No.188

題名:検索で偶然に検索されて、さらに検索された上での答えがここにあるのか?
報告者:ダレナン

 偶然とは、必然であり、必然であるからこそ、そこに自身の行動の結果として現れる。それが偶然のことの次第である。例えば、街中である珍しい人に出会ったとする。お互いに「偶然ですね」という場面であるが、街中に出歩かなければ起こらない現象であり、そこには街中を歩く必然があり、出会うきっかけは、結局は歩くという必然によってもたらされている。すなわち、No.78に報告したように、偶然には必ずといえるほど必然での符号の一致率が高い。結局は、偶然とは行動の連鎖でやがて起こりうる事象であり、その事象は偶然では生起しない。そこで、単刀直入に問いたい。この報告書は、偶然か、はたして、必然か?
 読んでいくと、この報告書には取り立てて重要なことを記載してある訳ではないことが分かろう。偶然と必然について思うところを、つらつらと書きつづっているだけである。その一方で、検索エンジンを利用して、とりあえずこの報告書が検索されることを試みようとしている。その試みの裏には、検索により引っ掛かった本報告書は、決して偶然ではなく、必然であると証明したい意図がある。
 筆者は普段の検索ではGoogleを使用している。人によってはYahooなど、他の検索を利用している人も多いであろう。しかしながら、どのような検索エンジンを使用しようとも、本報告書が、その検索でやがて引っ掛かることは大いに有り得る。そこには、検索するという検索者側の行動が反映された結果でもあるが、繰り返しの検索に引っ掛かる本報告書は、偶然ではないはずである。もちろん検索する時には、検索エンジンに備わっている何らかのアルゴリズムに基づくが、膨大な検索の中から本報告書が引っ掛かったとしたら、検索エンジンによる偶然というよりも、そこには引っ掛かる何かが検索エンジンに働きかけていたことも否定できない。つらつらと書きつづっただけの本報告書が、検索エンジンに影響を与えた結果かもしれない。
 現在、検索エンジンには、様々な方法が用いられている。しかしながら、これからの未来では、より複合的な検索エンジンの方法も増え、人間が意図する挙動とは異なる様相を示すことも多くなるであろう。少なくとも、No.129に示したように、プログラムのコーディングが複雑になればなるほど、バグの発生率は高くなり、バグがあっても実行がなされているプログラムは、誰にも不具合が見えにくい。そういう見方によれば、現在の多くのソフトウェアはモジュール間の関連性が捉えにくく、そこに完全性はなく、永遠のβ版ともいえる。その永遠のβ版であっても見た目には実行がスムーズになされているバグの挙動は、実行の一部となり、その挙動がどのように全体に影響を与えるかは、誰にも予測がつかない。
 これだけ世の中にスマートフォンが普及した現在では、人は知識を満たすべく、あるいは、問題を解決したいがために、スマートフォンに向かって、あらゆることを検索する。その検索する際のキーワードは個人の考えに依存することは今後も変わりない。しかしながら、検索で得られた何かは、意味もあることもあるが、意味もないこともあり、その情報を生かすも殺すも、結局は検索した側の判断に委ねられる。言い換えれば、検索した検索者側の脳内の検索が最終的な答えを導く。しかしながら、図のように脳内の検索能力も、年齢とともに意図せずバグが多くなる。

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図 脳のイラスト1)を改図

1) http://cc-library.net/010004833_free-illustraition/ (閲覧2016.2.21)

 
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